日本の医療を世界へ

AVMガンマナイフにかける想い

私が行うAVMガンマナイフ治療:命、想い、そして未来を繋ぐために

林 基弘

私がガンマナイフに関わる最初のきっかけは、一人の幼なじみの友人の死であった。彼は大きな外科病院の跡取り息子。頭もよく、性格も穏やか。中学で別の進学校に通った彼との再会は浪人時代、同じ予備校クラスでのことであった。話せば彼は私なんかよりももっと難関大学医学部を目指していて、余裕で合格を果たした。互いに医師になり、少ししたらまた実家近くで会おうと約束した言葉が最後に交わした言葉であった。彼は研修医として北海道の病院赴任勤務中に2度の脳出血を負った。そして、そのまま天国へ駆け足で逝ってしまった。。僕が脳神経外科研修医として女子医大病院勤務中にこの訃報を聞かされた。耳を疑った、なぜ彼が。。後から聞けば、大きな、しかも脳の深いところにある脳動静脈奇形(AVM)からの出血であったと。一度目出血のときに手術に踏み切られたそうだが、そのまま何も打つ手なく締められたそうだ。そして、二度目の出血が彼の人生を一瞬にして奪ったのだ。誓った約束は、彼の自宅で棺の中での再会であった。いまでもその白い木箱の中で眠っているようなあの顔が忘れられない。奪ったのは彼だけでない。その後、彼が継ぐべき外科病院もその後なくなってしまい、いまでは別の建物となっている。そこを訪れるたびに今でも胸が熱くなる。病気は人の命だけでなく、その家族、そして周りや社会まで変えてしまう。。医師になって4年目。それまでの出張病院で脳動脈瘤クリッピング手術や簡単な脳腫瘍摘出手術までこなせるようになり医局へ戻ったときに、当時の主任教授から声がかかり、「林君、ガンマナイフをやってみないか?」と誘われた。私は一つ返事でお受けした。原理はよくはわからなくとも、手術困難な病変、とくにAVMに対して治療が可能となると聞いていたからだ。そして、その時に思ったのは「これがあれば友を失わなくても済んだのではないか、、」という無念さと期待の入り混じる中での答えであった。

あれから、二十年以上の時を経てもなお、いまの自分はまだガンマナイフ治療を続けている。初めて執刀してから、かれこれ9300人の患者、とくに700人のAVM治療に直接携わってきた。脳神経外科医局へ入局したのだから、自ら手術で人を治したいと思い来たはずなのに、反対にガンマナイフ治療で忙しくメスが握れなくなっていた。当時、これを自身不本意と思い、ガンマナイフを止めて外科手術に再度集中したいと考えた時に当時の主任教授堀先生よりフランス留学を勧められた。「手術はいつでも戻れるのだから、ガンマナイフとくにてんかんや痛みなどの機能性疾患を極め日本へ貢献できるようになってはどうか?」と。。ガンマナイフは治療困難な箇所病変のためだけでなく、世の中にある放射線治療機器の中で最も精度の高いシステムであることで知られていた。それは0.1ミリ(髪の毛一本分)の照射精度治療であった。フランス時代は三叉神経痛、難治性てんかん、運動異常(パーキンソン病など)を主に実地で勉強した。しかし、それ以上に一般的な適応疾患が多く、とくに頭蓋底腫瘍などは綿密な治療計画を駆使することでかなり確実に治療成績を残せることがわかり精進した。一方で、AVM治療に関してはまったくもって日本(女子医大)のやり方とフランスのやり方が全く違っており、愕然としたのをいまでも覚えている。それは患部へ単に放射線を当てるというものでもなく、0.1ミリレベルの高い精度を施していくというものでもなかった。つまり、AVMそのものの病態生理学的特徴をまず考慮し、脳腫瘍治療などの3次元的感覚でなく、ナイダス(AVM本体)を流れる血流自体をも加味した4次元的感覚での治療計画が求められるものであった。とくにガンマナイフは「照射量」と「照射体積」の2つの因子がとても重要とされ、治療効果を出すのも、治療合併症(放射線障害)を出すのも表裏一体の関係であり、そこが患者人生を考えた上で非常に大きなポイントとなることを知った。私は当時フランスで行っていた治療コンセプトをそのまま継承し、CT,MRI,脳血管撮影(動脈相、毛細血管相、静脈相)が同時に描出される治療計画画面(work space)を用い、導出静脈に流れ込む直前のナイダスを優先的に照射野内に入れカバーするよう心がけ、最終的に照射体積4ccとなったところで終了とした。その上で、辺縁線量(AVM全体辺縁に最低どのくらい当たっているかを図り)22グレイを処方したのである。とくに小児例は米国からも報告があったように、「年齢」が効果決定要素のひとつなっていることがわかり(小児例は反応しやすい)、無理に多く照射しすぎずに治癒せしめる可能性があるとわかった。しかも、子供は大人と異なり未来があるだけに、一回の治療でどれだけ合併症を減らせるかが、どれだけ効果を持たらせるかよりも重要になってくると私は考えている。

私がまだ初期の頃、渡仏前に経験した30歳代女性患者の大きなAVM。すべてを覆いつくし、辺縁線量を25グレイにして行うべきという当初プロトコールに従って治療をしてしまった。その後、脳は放射線障害で腫れただれ、その後大出血を伴い亡くなってしまった。。当時は仕方ない、ではいまでも許されない。この経験がずっと私自身に重い十字架を背負わせ、治療は安全第一であるというのが自分の口癖にすらなっている。とくに若い患者さんたち、なかでもまだ幼い子供たちへの治療は、どのようなタイプであっても臆せず一定の信念に基づいて積極的かつ安全に行うことをこれまでの経験と想いで持てるようになった。自信をもってやりましょうと言えるまでに、だいぶ長い年月を費やした。自分は平凡な医師である。しかし、だからこそ安全にこだわり、患者人生にこだわってきたのだと思う。

現在、私の元へは自身専門としている機能性脳疾患(三叉神経痛や側頭葉てんかんなど)患者よりも、最近は頭蓋底脳腫瘍やAVM患者が数多く訪れるようになった。とくにここ1-2年ではお子さんのAVM患者があとを絶たない。私は卒中専門医の資格すら取っていないのに、AVM患者が多く外来へ訪れる。聴くと皆、前主治医から納得の説明が得られていない、闘わず見るしかないとあきらめさせられた人たちばかりだった。確かにAVM治療はある意味難しい。とくに、闘わない医師にはより難しい疾患治療と思う。何もしないほうが良いという臨床研究(ALUBA study)を振りかざし患者を診ようともしない、心の声を聴こうともしない医師も少なくない。だからこそ、私たちは多少治療適応を超えてしまっていたとしても、首を横にすることはめったにしてこなかった。なぜなら、私たちが最後の砦であると意識しているから。もちろんとても簡単なことではない。しかし、「治します」という言葉を言える医師となることこそ、医師として大事な気概ではないかと思う。患者は自分を病気ではなく、人として診て欲しい。いまの不安を払しょくし未来へと考えを誘って欲しいと考える生き物なのである。私も6年前に心筋梗塞を発症し、いまでも現役で患者を続けながら想うことは、嘘でも良いから主治医には治すから任せろと言って欲しいと思っている。こころが通じずして、治療は始まらない。納得と満足を目指し完遂することこそ医療の目指すべきもの。医者は患者を人間に戻すだけでなく、社会人にまで戻してこそ意味がある。治療はやっただけで終わりではない、むしろその後のフォローや関わりこそが大事であると思っている。「点」としての治療を、「線」としての人生にどのようにクリエイトしていくのかを患者とともに話して決めていくことが私の治療そのもの。常に患者の悩みや不安を傾聴し、なりたい自分を取り戻させる。つまり、頭を開けずに人生を手術することがガンマナイフの醍醐味であると考えている。

私は未来ある子供たちに対して、親以上の親となって、将来を叶えるためのガンマナイフを実践してきたつもりである。治療そのもののトラウマを持たせないためにも、早くから麻酔科と共同し全身麻酔下ガンマナイフ治療システムを構築してきた。いまや非挿管での全身麻酔治療も可能となり、子供たちは本当に寝ている間に終わってしまい、翌日から飛んだり跳ねたりして遊ぶことができる。また、外来を通して子供たちの成長を常に願っている。間違ったこと、曲がったことをすれば親ともども子供たちに雷を落として叱る。愛情をたっぷり掛けて治療した自負があるからゆえ、叱る権利がある。ときに親たちは子供を叱れなくなる。なぜなら自分が産み育て子だから負い目に似たものを持っているようだ。。だからこそ、私自身の役割と存在価値があるのだと思う。そして、いままで治療したうちの何人かが私の医療者としてのDNAを受け継ぎ、病気を克服して医療者へとなった。まさに私の方が尊敬すべき存在である。彼らの輝きを見て、勇気づけられる子供たちがまた出てくるだろうと思うと胸が熱くなる。

繋がなくていい命など一つもない。その命と想いと未来を想い、これからも私自身のAVMガンマナイフ治療を進めていきたいと強く思っている。簡単な治療は一つもない。しかし、一人一人に多くお想いが込められている。魂の治療計画を今後も実践していきたいと思っている。

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